近づきたい夜、離れたい朝
雨上がりの夜だった。
駅前のカフェの窓には、水滴がまだ少し残っている。
街のネオンがぼやけて映り、世界全体がやわらかく滲んでいた。
直樹はホットコーヒーを両手で包みながら、窓の外をぼんやり見ていた。
人が多い街だった。
笑い声も多い。
カップルもいる。
友達同士で肩を叩き合っている人たちもいる。
でも時々、この街は妙に孤独だった。
誰もが誰かとつながりたがっているように見える。
なのに、どこか壁がある。
直樹自身もそうだった。
本当は人と話したい。
理解し合いたい。
一緒に笑いたい。
でも近づきすぎると苦しくなる。
相手に気を使いすぎる。
自由がなくなる気がする。
傷つくのも怖い。
だから少し距離を取る。
すると今度は寂しくなる。
その繰り返しだった。
カラン、と店のドアが開いた。
白いシャツを着た女性が入ってくる。
二十代後半くらいだろうか。
濡れた髪を軽く払いながら、店の奥を見渡している。
空席が少ない。
女性は少し困った顔をしたあと、直樹の向かいの席を見た。
「ここ、座ってもいいですか?」
「あ、どうぞ」
女性は小さく頭を下げて座った。
しばらく沈黙が続いた。
でも不思議と嫌ではない。
外では車のタイヤが濡れた道路を滑っていく音がしている。
「雨、長かったですね」
女性が言った。
「ですね」
それだけの会話だった。
でも直樹は少し安心した。
無理に盛り上げなくていい。
無理に面白いことを言わなくていい。
それだけで楽だった。
「人といるの、疲れる時ありません?」
突然、女性が言った。
直樹は少し驚いて笑った。
「あります。かなり」
「ですよね」
彼女も笑った。
「寂しいのに、一人になりたい時があるんです」
直樹は黙って聞いていた。
「誰かといたいのに、近づきすぎると逃げたくなるというか」
「わかります」
それは、直樹がずっと言葉にできなかった感覚だった。
女性は窓の外を見ながら続けた。
「たぶん人って、矛盾してるんですよね」
「矛盾?」
「つながりたい。でも自由でもいたい」
直樹は静かに頷いた。
その瞬間、自分だけじゃなかったんだと思った。
みんな不器用なのかもしれない。
近づきたい。
でも怖い。
だから強がったり、冷たくしたり、冗談でごまかしたりする。
本当は、
「一緒にいたい」
だけなのに。
雨はいつの間にか止んでいた。
窓の外には、水たまりに反射する街の光。
女性は立ち上がり、バッグを肩にかけた。
「なんか少し楽になりました」
「僕もです」
彼女は笑った。
「またどこかで会うかもしれませんね」
「そうですね」
彼女は店を出ていった。
直樹は窓の向こうに消えていく後ろ姿を見ながら、コーヒーを一口飲んだ。
街は相変わらず騒がしい。
人はきっとこれからも、
近づいたり、離れたりを繰り返す。
でもそれでいいのかもしれない。
完全にわかり合えなくても、
少しだけ心が触れる夜がある。
それだけで、人はまた歩いていけるのだから。
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