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『心の中の戦争』

朝のニュースが、やけに大きな音で流れていた。 「中国で日本人ビジネスマン拘束」 「政府高官、消息不明」 「台湾海峡で心理戦」 画面の下に流れるテロップは、赤く、速く、鋭い。 誠はテレビを消した。 カフェラテの泡が、静かにしぼんでいく。 「怖い国だな」 思わず口に出してしまった自分の声に、少し驚く。 本当に、そう思っているのか? それとも、ニュースがそう思わせているのか? 通勤電車の中は静かだった。 みんなスマホを見ている。 同じニュースを、同じ角度で、同じ言葉で。 中国は危険だ。 台湾は緊迫している。 戦争は近い。 誰かの言葉が、心の中で反響する。 戦争は、もう始まっているのか? 昼休み、同僚の李(リー)がコーヒーを淹れていた。 彼は上海出身で、日本で十年働いている。 「最近、ニュースすごいね」 誠が言うと、李は苦笑した。 「うん。うちの母も電話してきたよ。“日本は大丈夫か”って」 二人は顔を見合わせて、少しだけ笑った。 怖がっているのは、同じだった。 テレビの向こうでは互いを警戒しているのに、 目の前にいるのは、ただの同僚だ。 ラーメンが好きで、残業が嫌いで、娘の写真を見せびらかす父親だ。 敵ではない。 夜、誠はベランダに出た。 空は静かだった。 「戦争は心の中から始まる」 そんな言葉が浮かぶ。 もし、恐怖が積み重なれば、 疑いが積み重なれば、 それはいつか現実になるのかもしれない。 でも、逆もあるはずだ。 安心を積み重ねれば。 対話を積み重ねれば。 信頼を、少しずつでも重ねれば。 翌日、誠は李に言った。 「今度、家族ぐるみでご飯行かない?」 李は少し驚いて、それから笑った。 「いいね。うちの餃子、世界一だよ」 その瞬間、誠の中で何かがほどけた。 ニュースは今日も騒がしい。 心理戦も続いているのだろう。 政治は複雑で、思惑は絡まり合っている。 けれど。 心の中で始まった戦争は、 心の中で止めることもできる。 平和外交は、遠い会議室だけの話じゃない。 目の前の一人と、どう向き合うかだ。 安心して暮らせる世の中に。 それは大きなスローガンじゃなくて、 静かな日常の積み重ね...

サポーター 赤い蛍光灯の下で

   最初に彼女を見たのは、駅前のストリートコンサートだった。  プロのバイオリニストが夜風の中で弾いていた。音は柔らかく、街のざわめきの上をすべっていく。彼女は最前列で、身じろぎもせずに聴いていた。演奏が終わったあと、何気ない会話を交わしたのが始まりだった。  それから何度か、近くのカフェでお茶を飲んだ。  ある日、彼女はバッグから一冊の本を取り出した。 「資本論の解説本なんです。読みやすいですよ」  僕は少し笑った。 「学生の頃に読んだよ。もういいかな」  彼女は「あ、そうなんですか」と言って、本をしまった。  そのころは、まだ普通だった。  彼女は明らかに、そのバイオリニストに惚れていた。  演奏が終わると、彼の姿を目で追っていた。声をかけるタイミングを測っているようにも見えた。  ある夜、僕が隣に立って話しかけたとき、彼女はわずかに顔を背けた。  聞こえないふりをした。  二回目も同じだった。  少し離れた場所に、そのバイオリニストが立っていた。  あとになって思えば、他の男と親しくしているところを見られたくなかったのだろう。だがその場では、そんな理屈は浮かばなかった。ただ無視された、という事実だけが残った。  いったんその場を離れたが、戻ってしまった。  そして声を荒げた。  周囲が振り向いた。  その瞬間、自分でも「ああ、やってしまった」と思った。  それから彼女のLINEは止まった。  しばらくして解散総選挙のニュースが出た。  なぜか胸がざわついた。野党がまとまれば何かが変わるのではないか、と本気で思った。  地元一区の衆議院候補の講演会に足を運んだ。会議室の蛍光灯は少し青白く、パイプ椅子が規則正しく並んでいた。候補者は原稿を握りしめながら話していた。 「流れを変えたい」  その言葉が妙に真っ直ぐに聞こえた。  気がつけばサポーター登録をしていた。その流れで、別の野党の事務所にも顔を出し、そこでも名前を書いた。野党が割れているなら、全部応援すればいい。勢いだった。  やがて、いわゆる「赤い」と言われる政党の事務所にも出入りするようになった。  幹部が来る日、赤いシャツを着て駅前に立った。  チラシを配りながら声を出した。 ...