ディスラー 正義の顔をした注意

 ディスラーの「注意」というのは、

注意ではない。


それは、

人を正すための言葉ではなく、

人の上に立つための動作だ。


あるとき、ディスラーの一人が「トイレ」と言った。

それに対して、別のディスラーが、

わざとらしく、嘲笑うような口調で言った。


「……お手洗い、ね?」


空気が、ほんの一瞬、歪んだ。

言葉そのものは丁寧だ。

だが、音に混ざっているのは、

「お前は下だ」という含み笑いだった。


普通に言えばいい。

最初から「お手洗い」と言えば、それで終わる話だ。

だが、そうはしない。


一度、相手を「間違った側」に置く。

そして、正しさを装って、訂正する。

その瞬間に、上下が生まれる。


面白いのは、

「お手洗い」と言ったそのディスラーが、

別の場面では、平気で別のディスリーワードを使っているであろうことだ。


正義ではない。

一貫性もない。

あるのは、場面ごとのマウント欲だけだ。


嘲笑う口調での注意。

それはディスラーの典型だ。


本人は、

「常識を教えてあげている」

「マナーを守っている」

そんな顔をしている。


だが実際には、

相手を恥ずかしめ、

自分の立ち位置を一段上にずらしたいだけだ。


街には、そういう光景が溢れている。

正義が、笑いを帯びて振り下ろされる。

笑っている方が、必ずしも正しいわけではないのに。


だから、僕は決めている。

ディスりには組しない。


ディスラーの仲間には、絶対に入らない。


かつて友達だった男が、

ディスリーワードを軽く使うようになったとき、

僕は静かに距離を取った。


嫌いになったわけじゃない。

怒ったわけでもない。

ただ、同じ場所には立てないと思っただけだ。


人をあざけることは、

一瞬、快感がある。

それは否定しない。


でも、ディスリーワードでの嘲りは、

あまりにも安い。

あまりにも下等だ。


僕は、

その安さを楽しむほど、

もう暇ではない。


だから今日も、

正義の顔をした注意を横目に、

静かに、

ディスラーのいない場所へ歩いていく


コメント

このブログの人気の投稿

恋活戦争 吹いた男と、健全な女たち

恋活戦争 「まあまあの距離」

桜町のプリンス 1話 即興アマチュアピアニスト