ディスラー 威張り歩き
街を歩いていると、
ときどき言葉のない主張に出会う。
威張り歩き。
肩を張り、歩幅を広げ、
周囲に気を遣わせることを前提にした歩き方。
彼らは何も言わない。
けれど、態度だけで十分に伝えてくる。
――お前は俺より下だ
――道を譲る側だ
――黙って避けろ
それが、ディスリ・コミュニケーションで使われる
マウント・アクションだ。
昔の僕は、それに真正面から反応していた。
威張り歩きの男が来れば、
わざと避けなかった。
時には、わざとぶつかった。
肩が当たる。
視線がぶつかる。
一瞬の緊張。
そのときは、
自分が負けなかった気がした。
マウントを拒否した気がした。
今でも、たまにやる。
何人かの男が横一列になって道を塞いでいるとき、
あえて、その真ん中を通る。
理屈としては正しい。
道は共有物だ。
こちらが引く理由はない。
でも、最近になって、
はっきり分かってきた。
それが、
とてもつまらないことだということを。
ぶつかっても、
すり抜けても、
相手は何も変わらない。
威張り歩きをする人間は、
こちらがどう反応しようと、
また別の誰かに同じことをする。
彼らは、
誰かを下に置くことでしか、
自分の位置を確認できないだけだ。
マウント・アクションは、
こちらが反応した瞬間に完成する。
怒りも、挑発も、
すべて相手の栄養になる。
だから今は、
反応しない。
避けもしないし、
ぶつかりもしない。
ただ、歩く。
威張り歩きが視界を横切っても、
意味を与えない。
昔は、ぶつかることで自分を保っていた。
今は、
つまらないと感じられることで分かる。
――もう、その段階は終わったな、と。
ディスリ・コミュニケーションは、
勝つか負けるかの話じゃない。
巻き込まれないこと。
相手の行為を、
ただの動作に戻すこと。
それができたとき、
マウント・アクションは、
ただの不格好な歩き方になる。
街は今日も人で溢れている。
でも、
誰かの不安に付き合うために、
歩き方を変える必要はない。
僕は、
僕の速度で進む。
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