ナンパ失敗記 百羽のカラスと、通用しなかった理論
僕は、あの頃、本気でカラスの習性を研究していた。
二の丸公園で餌をやり続けていたら、いつの間にか百羽近いカラスが集まってきた年があった。空が黒く染まるような光景を前にして、僕は妙な確信を抱いてしまったのだ。
――これは、女の人にも応用できるんじゃないか。
今思えば、ずいぶん馬鹿なことを考えていたと思う。
女の人は、そんなに甘くない。
それが、ようやく分かってきた。
当時の僕の発想は、ほとんど妄想に近かった。観察して、距離を測って、タイミングを待てば、人は自然と集まってくる。カラスでうまくいったんだから、人間でも通用するはずだ――そんな短絡的な考えだった。
だが現実は違った。人間は、特に女の人は、カラスほど単純じゃない。むしろ、単純だと思い込んでいた自分の方が、よほど単純だったのだ。
それでも、無駄だったとは思っていない。
なぜなら、カラスを通して、僕は「理解する」ということを知ったからだ。
正直に言えば、最初はカラスが好きではなかった。
うるさいし、黒くて、不気味で、どこか信用ならない。そんな印象しかなかった。でも、毎日見ているうちに、少しずつ習性が分かってきた。誰が先に動くのか、誰が様子見をしているのか、どんな距離なら安心するのか。
それが分かってくると、不思議なことに、カラスが可愛らしく見えてきた。
今では、僕はカラスがかなり好きだ。
あの臆病さも、用心深さも、全部ひっくるめて、愛嬌のように感じられる。
同じことは、ディスラーについても言えた。
最初の頃は、本当に辛かった。鬱陶しくて、腹が立って、言葉の端々で傷つけられてばかりだった。視界に入るだけで、心がざわついた。
でも今は、気にせずにいられる。
ディスラーは、別に根っからの悪人じゃない。
そう理解できるようになったからだ。
彼らにも彼らなりの習性がある。安心したい、優位に立ちたい、仲間の中で位置を確認したい。そういう行動の癖が見えてくると、腹立たしさは薄れていった。好きとまでは言わないが、嫌悪一色でもなくなった。
――まあ、そういうことって、あるじゃないか。
女の人についても、きっと同じだ。
表面的な部分しか見えていないうちは、なかなか好きになれないこともある。でも、よく分かってくれば、ある瞬間に、すっと印象が変わることがある。
理解することで、好きになる。
それは、珍しいことじゃない。
社会もそうだ。
嫌な社会だ、と嘆く人は多い。確かに、嫌な側面は山ほどある。でも、その仕組みや癖を理解していけば、「最悪な場所」から「面白く生きられる場所」に変わることがある。
カラスも、ディスラーも、女の人も、そして社会も。
理解できなかったときには、ただ怖くて、鬱陶しくて、嫌な存在だった。
けれど、理解した途端、それらは少しだけ、こちらに顔を向けてくる。
あの百羽のカラスは、僕に女の落とし方を教えてはくれなかった。
代わりに、もっと厄介で、もっと大事なことを教えてくれたのだ。
――分かろうとしたものは、いつか嫌いじゃなくなる。
少なくとも、以前よりは、ずっと生きやすくなる。
コメント
コメントを投稿