ナンパ失敗記 ロングブーツの女
ベンチの隣に、ふいに若い女が座った。
生足にロングブーツ。季節と理性の境目みたいな装いだった。
僕は声をかけた。
「生足でロングブーツ、いいですね」
作家の癖で、服装を見ると放っておけなくなる。登場人物の衣装は、物語の骨格だからだ。そう説明すると、彼女は特に反応を示さず、前を向いたままだった。
僕は話し続けた。
小説を書いていること。
売れたら一億くらいはいく計算になること。
十万部、翻訳、世界で百万部。
印税一割、千円の本。
数字としては、あながち荒唐無稽でもない――そんな話。
音楽もやっていると言って、今日アップした動画を聴かせたりもした。
それでも彼女は、ほとんど僕を見なかった。
横顔を盗み見ると、正直なところ、特別美人という印象はなかった。
ああ、今日は外れか。
そんな失礼な考えすら浮かびながら、僕はそれでも話すのをやめなかった。
気がつけば、十分以上は隣に座っていた。
完全に無視するなら、最初から離れればいいのに――
そう思った矢先、彼女は立ち上がった。
その瞬間だった。
スカートがわずかに揺れ、ロングブーツの上の足が、驚くほど美しかった。
思わず口をついた。
「足、綺麗ですね」
彼女は、そこで初めて振り向いた。
――美人だった。
さっきまでの印象を、すべて裏切る顔だった。
ああ、そういうことか、と僕は理解した。
最初は、わざと“そう見せて”いたのだ。
「あなたなんて相手にしない」
その態度を、顔つきで演出して。
最後にだけ、本来のカードをちらつかせて立ち去る。
拒否でもなく、受容でもない。
距離を保ったまま、優位だけを示す仕草。
少し、傷ついた。
ほんの少しだけ。
でもまあ、どうでもいい。
そうやって自分に言い聞かせながら、ベンチに残った。
物語には、こういう場面が必要だ。
人は、相手を拒むときでさえ、承認を欲しがる。
そして去り際の一瞬が、いちばん残酷で、美しい。
――ロングブーツの女。
きっと、どこかの小説に、また出てくる。
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