観音菩薩像 1話 労働基準監督官だぁ
俺は大学4年生、国家公務員試験と労働基準監督官採用試験をパスして、今年の4月に福岡市の労働基準監督署に配属されることになっている。今夜は労働組合に就職がきまっている高校のときの同級生と飲んでいる。俺が話す。
「やっぱ一生労働界を見ていきたいんだ」
「労働界を外から見るってことか?」
「え?」
「俺は労働者の中で生きていくよ」
「カッコつけんな。だったら組合の専従なんかにならずに普通に働け。どうせ出世目当てなんだろう」
「何とでも言え。お前こそ国家公務員として安泰だな。年金も結構なもんで」
「そう言うな。ちょっと言いすぎた。くさいこと言うようだけど、お互い労働者のために、そして一労働者として」
「確かにくさいな、ハハハ」
就職して12年が過ぎた。一筋縄では行かない海千山千の経営者相手。最初は面白かったが、だんだん新鮮味がなくなってきた。管轄地域に5万といる労働者が大変なのはわかるが、問題にとても対処しきれないので仕事を減らすことを余儀なくされている。心が痛いがこればっかりはしょうがない。
「プルルル」
電話だ
「うなぎ店の客とおっしゃる方から相談が来てます。おつなぎしますね」
「はい、こんにちは。どんなご相談でしょうか?」
「あ、どうも。早速ですが、僕がたまに行くうなぎ屋さんの店長が長時間労働で倒れそうなんですよ」
「はあ、なんというお店ですか?」
「うな蔵(くら)です」
「店長さんは男性ですか?」
「いえ、女性です」
「どんな状況ですか?」
「毎日朝10時から夜8時まで働いていて、休みはほとんどなしです」
「はあ、しかし本人から電話がないと、第3者の連絡では対応できかねるんですよね」
「店があるビルの地下のエレベーター付近にバイト募集中の張り紙があって、店とオーナー両方の電話番号が書いてあります」
「ですから、こちらから電話はできないので」
「え? いやいや、何で?」
「そういうことになってますから」
「どう言う事?」
「ですから、決まりなので」
「ちょっとそのビルに足を運んで電話すれば済むことじゃない。店に直接行ってもいいし」
「ですから先ほどから申し上げている様に」
「待って、要はあんたらフットワークよりデスクワーク専門ってことだろ」
「そう言われましても」
「いいか、俺はライターだ。あんたらのことを書いて公表するぞ」
こいつの声さっきからうわずってるじゃないか。このきもの座らない若造には困ったもんだ。俺は落ち着いて低い声で言った。
「お好きなように」
「ツーツーツー」
電話が切れた。次の日また、そいつから電話がかかってきた。
「ちょっとお聞きしますが、最初は労基署側から労働者にコンタクトを取れないということですが、それは法律で決まってるんですか?」
「それは法律には無いです」
「じゃあ、明文化された内部規定とかは?」
またこいつの声うわずってる。場数も踏んで無いのに偉そうに。だが質問は鋭い」
「それも無いです」
「じゃあ、あんたらそんな大事なこと慣例かなんかでやってんの?」
「まあ、なんと言いますか」
「俺には新聞社の役員とラジオのパーソナリティに知り合いがいるんだぞ。あんたのせいで彼女が病気になったら、責任とってもらうからな。そのことが世間に知れたらどうなるか」
こいつは厄介だ。
「あの〜。情報請求という制度がありまして、第3者から情報提供があった場合、こちら側からも労働者に連絡できます」
「なんでそれを先に言わないんだよ。それに、うっかりしてたけどスマホで、うな蔵検索したら電話番号すぐにわかるじゃないか」
「はあ、一応こちらから電話できますが、いつするかはこちらで判断させていただきます」
「なんですぐしないんだよ。そのままずるずる過ぎて彼女が病気になったらどうすんだ。今5時前じゃないか。すぐ電話しろよ」
「はあ、今日はちょっと」
「どうせあんた5時には帰るんだろ。彼女は8時まで働いてんだぞ」
「一応電話の件はお預かりということで」
「なんだと、あんたとは話しても無駄だってわかったよ。覚えとけ」
厄介なことになった。しかしこの若造なんでこんなに食いついてくるんだ。どうせ店長は若い美人なんだろ。そうじゃなかったらここまで肩入れするか? それにこっちばっかり文句言いやがって、電話かけられない店長の方にはどんな話してるんだろうな。どうせそっちには甘いに決まってる。しかし大丈夫か? 俺の将来。マスコミからバッシングされたらどうするよ。辞職して年金もらえないなんてのはごめんだぜ。俺はこのとき、この生意気な正義派ぶったライターが鼻についたが、、、
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